東京マラソン観戦は非難されるべきことなのか? 今こそ知見に基づいた判断と工夫が必要だ

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3月1日に行われた東京マラソン。新型コロナウイルス感染拡大を受けて、一般ランナーの参加を取り止めとし、沿道での応援についても「自粛」を呼びかける規模縮小での開催となりました。例年は100万人を超える人出がある大人気のイベントですが、主催者側の発表によると今年の人出は7万2千人とのこと。

中継での沿道の様子を見ても、浅草雷門前などもとから観光地として人出が多い場所を除けば、人と人との間には隙間が空く程度の緩やかな密集具合。日本橋・銀座といった例年なら非常に多くの人でにぎわう観戦ポイントはむしろ「自粛」の意識が高く、閑散としていました。通常の休日には歩行者天国が実施されている銀座中央通りなどは、むしろ交通規制によって「人出が減った」とさえ言えるほどの閑散具合でした。

沿道はすべて公道であり、ほかの用事で出掛けていた人も、今まさにランナーが通過するとなれば足を止めて見守ることもあるでしょう。そういった「たまたま居合わせた観客」を加味してなお100万人から7万2千人への大幅減少というのは、大変よく抑制された運営状況であったと評価できるものです。

そもそもマラソン大会における沿道での観戦に関しては、厚生労働省が同日に発表した感染拡大防止のガイドラインに照らしても懸念はありません。厚労省のガイドラインでは「スポーツジム、屋形船、ビュッフェスタイルの会食、雀荘、スキーのゲストハウス、密閉された仮設テント」などを例に挙げつつ、「換気が悪く、人が密に集まって過ごすような空間に集団で集まること」を避けるべきとしています。

その点でマラソン大会の沿道での応援は換気が万全である屋外のことであり、非常に長い距離に渡って人が散らばるもの。東京マラソンの場合、一部折り返しで通過する区間があることを鑑みても、30キロメートルぶんほどの沿道の長さがあります。「換気が悪く、人が密に集まって過ごす空間」とはほど遠いものです。

また、マラソン観戦は互いに会話や食事をするための会合ではなく、選手が通過してしまえば終わりとなる極めて短時間のもの。スタート地点で見ていた人が、選手が通過したあとの2時間その場に留まっているはずがないことは、考えるまでもなく当たり前のことであり、「集団で集まる」には到底及ばないものです。

これだけの長さの距離に人が散発的に訪れるケースと、屋内イベントで密閉空間に人が留まりつづけるケースとを比較するのは非合理です。無理やり東京マラソンを音楽コンサートに例えるなら、トラックの荷台にアーティストを乗せて都内を2時間かけて一周する公演形態のようなもの。実際にそのような形態の音楽コンサートがあるなら、少なくとも新型コロナウイルス感染拡大という意味での非難は当たらないでしょう。いたずらに「人数」や「目立ち具合」でイベント・経済活動を非難するのではなく、知見を踏まえて、感染拡大防止と経済活動とを両輪で進めていくことが肝要です。

演劇や音楽コンサートなどの文化活動も、野外ステージの積極的活用や、屋内で行う場合には「あらかじめ入場数を抑制し、間隔を空けた座席に座らせる」「ホールを締め切らず、換気につとめる」「公演中にこまめに休憩を挟み、手洗いやうがいの時間を作る」「公演そのものを短時間で区切り、そのぶん一日の公演回数を増やす」など、ガイドラインに沿った運営のためにできることはまだまだたくさんあります。知見に基づいて知恵を絞る。それこそが、この苦境を「レガシー」へと変えるための人間の営みではないでしょうか。東京マラソンを参考に、感染拡大防止に努めつつ、できる範囲で経済活動もしっかりとやる、そんな工夫を積み重ねていってもらいたいものですね。

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スポーツイベントも観客あってのものですが、知恵を絞って公演のための努力を継続しています!

演劇界にも奮起と工夫を望みます!

・文=フモフモ編集長

(引用元:livedoor news)