1992年のドラフトを回顧、長嶋茂雄氏が松井秀喜氏を意識するようになったきっかけ

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21日、TBS「バース・デイ」では、巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄氏と、ニューヨークヤンキースGM特別アドバイザー・松井秀喜氏にそれぞれ行ったインタビューを放送。「25年前のドラフトの真実」として長嶋氏が松井氏との交渉権を引き当てた1992年のドラフト会議を振り返った。

当時のドラフト会議前、「小さい頃から阪神ファンだったので縦じまのユニフォームを着てタイガースの一員としてプレーしたい」と自ら意中の球団を明かした松井氏。番組のカメラに、この時のことを語ると「タイガースからも高い評価を頂いていましたのでプレーできたら嬉しいなという気持ちは持っていたと思います。縦じまのパジャマで昔寝てましたね、子供の時」などと笑顔を見せた。

だが、異例の発言から4日後となる1992年10月12日、松井氏の気持ちを揺さぶる出来事が起こった。長嶋茂雄氏が12年ぶりに巨人軍の監督に復帰したのだ。翌年にはJリーグの開幕を控え、野球人気に衰えが見られるようになったと言われる中、長嶋氏は新たなスター選手を育成したいと松井氏の獲得に乗り出した。

当時、伊藤智仁氏ら好投手が候補にいる中「あの時は別格」と前置きした長嶋氏は、松井氏を「巨人の4番じゃなくして、日本の4番になると思ってました」とキッパリ。そのため、松井氏が阪神入りを熱望しても尚、監督就任会見で「もしご縁があれば是非育ててみたい、指導してみたい」と松井氏獲得を宣言した。

この時の映像を改めて視聴した松井氏は「これはすごく覚えてる」と切り出すと、「家でたまたまテレビ観てたら自分のことを話し出してびっくりしたのを覚えてる。長嶋監督が会見で『縁があったら育ててみたいですね』って言われた時は、初めて『えっ』て思いました」という。

また、「なんとしてでもジャイアンツに入ってもらいたいという気持ちは前から持ってました」という長嶋氏。松井氏を意識するきっかけとして、5打席連続敬遠(明徳義塾対星稜)を挙げると、「敬遠の姿を1打席から2、3、4と見たら、同じ走り方で1塁まで走ってた。松井君は野球バカじゃなくて、なんとも言えない選手だなと」と明かした。

(引用元:livedoor news)

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